御宅草紙 -キングインター妄想日誌-

2015年10月2日

長岡鉄男先生

もう20年以上も前のこと。ハルモニア・ムンディの名盤がCD化された。LP時代に長岡先生が激賞したことで人気となったアルバムだったため、先生から推薦文を頂くよう命じられた。
私はひどい対人恐怖症なうえ、見るからに気難しい職人的風貌で、雑誌の連載からも偏屈ぶりがうかがわれる長岡先生に電話をかけるなどもってのほか、まさに死ぬ思いで電話番号を押した。

「はい」
不機嫌そうな声が出る。わっ、長岡先生だと狼狽しながら、
「あ、あの私キングインターナショナルのMと申します。今度××がCD化されて出ることになりまして、是非先生の推薦文を頂けないかと…」
「……」
 まずい、気分を害したかも…
「あ、あの以前書かれたものを再掲載させて頂くことでも…」
「僕は推薦文を書かないんだよ。でもアルバムにまつわる短い文でよければ書きますよ」
「えっ?」
「分量は?」
「1000字程で」
「週明けにFaxで送ればいい?」
「週明けに頂けるのですか! 頂きに伺います」
「バスで来るなら、××という停留所で下りると○○というレストランがある。そこを曲がって何軒目だから…」

さて困った。私はオーディオの知識が皆無なうえ、耳も悪い。天下の長岡先生を訪問するなど失礼の極みだ。一喝されて追い返されること必至だった。私は見込のない面接に臨む学生のような心持ちで、先生のオーディオ・ルーム「方舟」を訪ねた。

意外にも先生はまったく淡々とされていて、物静かだった。そして恥ずかしそうに目をお合わせにならない。手土産に持参した珍しいリトアニアの酒には
「へえ、材料は何なの?」
と、興味深そうに目を輝かされていた。

驚いたことに、長岡先生は私がどんな装置を持っているかとか、どんな音楽が好きか、何もお尋ねにならなかった。こちらが持参した何枚かの新譜をざっと試した後、LPプレーヤーのカバーをはずし、一枚の盤を乗せて部屋の電気を落した。それは民族音楽というか、どこかの集落をフィールド録音しただけのようなものだった。
「どこの国ですか?」
先生は何も仰らない。突如目の前に密林が広がり、冷房が効いているはずの方舟で蒸し暑い空気を感じ始めた。大きなアブがこっちへ飛んで来るのに身をかわし、カバが川から顔を出すと水がかからないかと心配した。子供たちが川べりで遊んでいるが、何故か旧知の友達で、日本語が通じるかのように思えた。もちろんアフリカなど行ったことはなく、おそらく一生行くこともないだろうが、その数十分の間、私は間違いなくアフリカの地にいた。

「先生、これは何ですか?」
「カメルーンのオペラというものでね、オコラという民族音楽のレーベルから出ているのだけど、音楽はほとんど出てこない。自然と日常を収録しているだけだけど、それが完全に音楽なんですよ。オペラとはよく名付けたものだ」
「先生、オコラは弊社の扱いです」
「ああ、そう。いやこれはCD化されなくてね、欲しい人が多いんだけど、何とかならないかねえ」
「さっそく打診してみます、というより必ずCD化してもらいます!」

部屋を明るくし、別のLPをプレーヤーに乗せた。やや現代的な音楽が始まった。未知の曲だった。かなりバチバチと表面ノイズがした。
「先生、これは何ですか?」
「アンティルっていう作曲家のコロボリー。よくアンタイルと間違えられるけど、オーストラリアの作曲家で、これ以外の曲は聴いたことがない」

これも物凄かった。すぐにノイズは気にならなくなり、オーケストラの大音響が驚きの分離感で轟き渡った。完全に圧倒された。

「50年代の録音だけど、これを聴くと技術の進化を考えてしまう。アメリカのエヴェレストという会社がハリウッド映画用の35ミリフィルムで録音しているが、当時もうこんなことが出来たんですよ…」

エヴェレストって? 確か数日前に会社で見たような気がする。
「先生、弊社はヴァンガードを扱っておりまして、何か最近エヴェレスト音源のCD化とか見たような気がするのですが…」
「え、じゃあコロボリーもCDになっているかな?」
「社に戻って調べます」

翌日、まずオコラに「カメルーンのオペラ」をCD発売して欲しいというFAXを送った。これには「音源行方不明につき不可能」という信じ難い回答があった。しかしアンティルの「コロボリー」はまさにSBM処理でCD化されていた。店向けのインフォメーションは先生の不安通りしっかり「アンタイル」となっていた。幸運なことにサンプルがあった。今度はアドレス帳を開くのももどかしく電話番号を押した。
「はい」
「キングインターナショナルのMです」
「ああ」
「先生、やはりコロボリー、CD化されていました。すぐにお持ちしたいのですが」
「へえ本当に。いつでもいいですよ」
「では明日伺います!」

前回とはうってかわり、はやる気持ちを抑えつつブザーを鳴らす。先生は嬉しそうに受け取られ、早速CDプレーヤーに載せる。先日と同じ音楽が、よりクリアなサウンドで始まった。
「お、バチバチいわなくていいねえ」
先生が微笑みながら仰った。そして身じろぎもせずに、じっと聴き入られていた。前回も凄かったが、これは言葉を失うほどの衝撃だった。演奏が終わると、
「いいねえ、録音大賞あげたい位だよ」
と少年のように顔を紅潮させながら仰られた。
「50年前なのに、エネルギーって消えないんですね」
「そう、そこなんですよ。それを分って欲しいんだ」今回はしっかり私の目を見ながら語られた。

先生はこのCDを大絶賛され、思わぬベストセラーとなった。長岡先生は2000年の5月29日に急逝されたため、SACDやブルーレイなどに触れられることができなかった。こんなどこの馬の骨とも分らぬ者に変わらぬ態度でたくさんのことを教えて下さった。無駄にしてはバチが当たる。せめて衝撃を受けた2つのアルバムは…

KKC-4024

KKC-4035

2年程前に、ひょんなことからエヴェレスト音源をマスターからSACD化できる機会が訪れた。もちろん初の試みで、方舟で聴かせて頂いて20年後に、まさか自分の手で実現するとは思わなかった。アンティルの「コロボリー」(KKC-4024)はCD以上の凄さで、先生に聴いて頂きたかった。さらに先生が褒めたサージェント指揮ロンドン交響楽団によるレスピーギのローマ三部作(KKC-4035)も仰天の情報量で再現された。

KKC-040

次は「カメルーンのオペラ」といつも思っていた。これもひょんなことから、フランスのINA(フランス国立視聴覚研究所)にマスターが存在すると分かった。交渉の末、ライセンス発売が実現した。「カメルーンのオペラ」は過去に一度もCD化されていないが、いきなりSACDハイブリッド盤となったうえ、LPには収録されていない4つのテイクも入っていた(KKC-040)。方舟で聴かせて頂いた時は、道端で「ヒックショーン」と3回くしゃみをする子供でほのぼのと終っていたが、実はその後も続き、最後は予想しなかったような荒ぶる海の音で終わる。恐すぎる結末だ。

長岡先生、どう思われますか?

(text by M)