御宅草紙 -キングインター妄想日誌-

2016年4月12日

天才レーラ・アウエルバッハ

レコード会社で働いていると、本来なら一生知り合うはずのない人とかかわることもある。夢としか思えないことさえある。

レーラ・アウエルバッハの名を知ったのはちょうど13年前。未知の才能を見つけ出す天才のBIS社社長ロベルト・フォン・バールが、「凄い逸材をみつけた」と知らせてきたことに始まる。「ニューヨーク在住のロシア女性で、まだ20代ながら作曲家として話題になっている。それだけではない。もうひとつの顔は詩人、小説家でノーベル文学賞にノミネートされたこともある今世紀一の天才」というのだ。ひどく興味をそそられた。

帰宅して妻に訊いたが、知らないという。インターネットで検索すると、彼女のロシア語詩が掲載されているページを見つけた。妻をパソコンに呼び寄せると、面倒くさそうに目を通し始めたが、すぐ釘付けとなり、「素晴らしい。もっとないの?」と目を輝かせた。

ちょうど私はトルストイや画家ポレーノフの作曲の楽譜を手に入れ、ロシア文化の偉人たちの作曲CDを作れないかと考えていたところだった。ピアニストとして彼女が適任と思い、バール社長に相談してみた。
「彼女はピアニストとしても素晴らしい。打診してみるといい」とメールアドレスを教えてくれた。そこで「トルストイ、パステルナークからバレエのバランシンまでが残した音楽作品を、貴女のピアノ演奏で録音したい」という旨のロシア語メールを内心びくびくしながら送信した。

翌日返信が来たが、どこで録音するのか、楽譜はすでにあるのかという即物的な質問だけで、その冷淡な反応に正直がっかりした。あとで本人が言うには、「絶対やる!」と狂喜したのだそうだが、周囲から「足元を見られるからクールを装え」と忠告されたとか。交渉は進み、2004年1月末に来日が決まった。

成田空港へ出迎えに行くのも緊張した。メールでの強い主張ぶりから気性の激しい人と思ったからだ。しかしゲートから出てきたアウエルバッハは、体格こそ良いもののおとなしかった。むしろおどおどしてさえいた。同行した私の7歳の息子とすぐに打ち解け、菓子を分けあいながらはしゃぐ姿はひどく幼く、とても音楽と文学両道で注目される凄い人には見えなかった。

しかし録音を始めて驚いた。トルストイ作曲のワルツを非の打ち所なく弾く。
「素晴らしい!」
しかし彼女は答えず眉間に皺を寄せ、楽譜を注視している。もう一度試す。もう一度…。それが10回を超えたあたりから、音楽が変質を始めた。神が宿ったように思えた。3日間で17曲を録音した。ピアノ独奏のみならず、画家のポレーノフ、フェドートフ、バレエのディアギレフの作曲した歌曲も、バッハ・コレギウム・ジャパンのメンバーでロシア歌曲もライフワークとする浦野智行氏の歌唱、彼女の伴奏で録音した。アウエルバッハは自ら歌って表現方法を伝えていたが、これがまた録音を残したくなるほど見事さだった。

最後がバレエの振付家バランシンの「ヴァルス・レント」だった。彼女はすでに相当疲れていたが、何度も弾くうち、曲の最後にニューヨークの街で笑顔なくベンチに腰掛ける老人の孤独な姿が浮かんだ。アメリカ・バレエ界の帝王としていつも隙なくきめ、勝ち組人生を謳歌したはずのバランシンの素顔である。音楽が深層心理まで引き出してしまった。
「これでOK…」
アウエルバッハがつぶやいた。彼女は精魂使い果たし、立ち上がることもできなかった。巫女だなと思った。


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そのように制作したアルバムが「トルストイのワルツ」で、これを聴いた恩人バール社長が「これは凄い。BISでライセンス発売させて欲しい」と言い、現在世界発売されている。

録音の翌日、彼女のたっての希望で国立能楽堂に連れて行った。「春栄」という作品だった。観劇後、内容を説明しようとすると、驚くことに彼女は完全に理解しており、筋から何を表現したいのかまで正確に述べた。よほど感動したのか、ずっと感想を語っていた。さらにその翌日には、東京大学文学部で講演を行った。もちろん文学についてである。

それからおよそ半年後の9月に、諏訪内晶子さんが彼女に委嘱したヴァイオリン協奏曲がアンサンブル金沢と初演されることになり、アウエルバッハは再来日した。彼女は大阪公演の時に、長年の夢だった京都を観てみたいというので、一日案内した。清水寺境内は曼珠沙華が妖しく咲き乱れていた。
「何とイマジネーションに満ちた花!」
「これは曼珠沙華といって、今の時期が盛りの花だけど、嫌う人も多い。墓地に群生するのと、毒々しい赤が血を連想させて、気味が悪いと…」
「そうは思えません。何て美しい!」とうっとり眺めている。
「ドビュッシーに見せたかったな。きっと曲にしただろうに」
「私じゃダメですか…?」
たしかに彼女好みだ。


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あいにくの空模様で小雨に煙っていた。彼女は龍安寺の裏手、竹林を前に何十分も瞑想していた。その姿は西洋人というより、観音様のようだった。
やがて微笑んだ。
「何か得られた?」
「とても!」
オフの日、彼女は私の家で家族然と過ごした。そのうち会話が上の空になり、どうしたのかと思っていると五線紙を取り出し、一心不乱に書き始めた。家中に緊張が走った。あとで聞いたところ、バレエ音楽「人魚姫」のあるシーンの構想が浮かび、一気に書き下ろした、とても重要なシーンだそうだ。DVDで観ることができるが、いったいどの部分が我が家で生まれたのだろう。

そのアウエルバッハと先月、12年ぶりに再会した。東京・春・音楽祭出演のための来日だったが、少しも変わっておらず優しい笑顔だった。創造的な才を持つ女性は、どこかに男的な要素を持つものだが、アウエルバッハは徹頭徹尾女性で、それも棟方志功が生きていたら惚れこみそうな神性な慈愛に満ちている。それも「聖母」ではなく東洋の「菩薩」なのだ。


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3月27日に東京文化会館小ホール、29日にヴィオラのキム・カシュカシアンとのデュオを王子ホールで行った。27日は自作の「24の前奏曲」とムソルグスキーの「展覧会の絵」だった。「24の前奏曲」も凄かったが、「展覧会の絵」は当日の観客の度肝を抜いたはずだ。よく知られた名曲なのに、出だしから初めて聴くような衝撃だった。この曲はラヴェルの刷り込みのせいで、冒頭はトランペット以外あり得ないと思いがちだが、「ボリス・ゴドゥノフ」の戴冠式の場と同じく鐘が鳴り響くことに気付かされた。彼女はアントン・ルビンシテインが繰り広げた19世紀ロシア・ピアニズムへの先祖帰りだ。大きな音、強い打鍵、激しさに激しさを重ねた表現。「展覧会の絵」も、レコーディングのときのように神が宿ったのだろう。あの内気な女性がとても大きく見えた。

アンコールに、桜の花からインスピレーションを受けて一晩で作曲したという「さくらの夢」というピアノ曲を弾いた。古謡「さくらさくら」を用い、ロシア音楽なのだが、単なるジャポニスム音楽のような様式とは違う日本的な精神性を感じさせた。ますます彼女が菩薩に見えた。
29日には、同曲のヴィオラとピアノ版がアンコールに奏されたが、カシュカシアンの歌い回しが絶品だった。そして驚いたことに、アウエルバッハは両版とも私に献呈してくれた。近日ハンブルクのシコルスキから出版されるそうだが、こんなどこの馬の骨とも分からぬ者の名前付きなどあってはならぬ。
「さくらの夢」か…。「夢のまた夢」って誰の言葉だったかな…。

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