【連載】ヴィオラ弾きのドイツ便り [Season 1 / Grüße aus Deutschland]


第4回:受難節と復活祭


20230321-1.jpg 2022年の聖金曜日にバッハのヨハネ受難曲を演奏したハンブルクの聖ミヒャエル教会。

長いドイツの冬が明け、春の訪れの喜びに満ちた季節に復活祭(イースター)がやってきます。復活祭日曜日は、春分の日の後の初めての満月の直後の日曜日で年によって変わり、最も早くて3月22日、最も遅くて4月25日と1ヶ月以上も時期に幅があります。ちなみに今年2023年の復活祭日曜日は4月9日です。

ほぼ毎年この時期までには春の訪れを強く感じる日々があるのですが、同時に急な寒の戻りで雪が降ったりする事も珍しくなく、春のドラマチックに変化する自然のエネルギーの様なものを感じさせられる時期でもあります。その復活祭日曜日、祝日の月曜日にはキリストの復活を祝うと同時に春の訪れを喜ぶ、バッハ「復活祭オラトリオ」「マニフィカト」などトランペット、ティンパニと言った祝祭的な楽器が加わる華やかな音楽が演奏されます。

復活祭日曜日の直前の金曜日がキリストの受難の日である聖金曜日(今年は4月7日)、復活祭日曜日の前の40日間が受難節(四旬節)と呼ばれる時期にあたります。この時期に教会などで多く演奏されるのが受難曲、有名なバッハのマタイ受難曲、ヨハネ受難曲の演奏回数が圧倒的に多くなりますが、そのほかにもテレマン、C.P.E.バッハ、カイザー、ホメリウス、アルヴォ・ペルトなどの受難曲、そしてハイドン「十字架上の七つの言葉」、ベートーヴェン「オリーブ山のキリスト」、フランク・マルタン「ゴルゴダ」など、キリストの受難をテーマにした作品も取り上げられます。これらの曲は受難節の時期以外(特に復活祭日曜日以降)には、特に教会で演奏される事は滅多にありません。

私がよくお世話になっている古楽器オーケストラでラルパ・フェスタンテ、マイン・バロックオーケストラ・フランクフルト、ノイマイヤー・コンソートなどの団体があります。これらは、オーケストラの独自のプロジェクトでの演奏会や録音活動も行っていますが、教会合唱団主催の教会での演奏会にも多く出演しています。特にラルパ・フェスタンテ(L'arpa festante)は年間を通して夏休みと年間何回かのCD録音期間以外は、ほぼ毎週の様に南ドイツを中心に教会合唱団との演奏会を行なっていて、その数は年間50回近くにもなります。ちなみに録音ではグラウプナーの協奏曲&序曲集、アントン・シュテックとのベートーヴェンのヴァイオリン協奏曲などのCDがあります。

グラウプナーの協奏曲&序曲集
https://www.kinginternational.co.jp/genre/acc-24350/

アントン・シュテックとのベートーヴェンのヴァイオリン協奏曲
https://www.kinginternational.co.jp/genre/acc-24320/

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ラルパ・フェスタンテで定期的に演奏をしているトリアー大聖堂

私がラルパ・フェスタンテに参加するのは多くても年間15回ほどですが、この団体の中心になる20人程のコア・メンバーは毎週どこかで教会音楽を演奏していると言っても過言ではない、まさにこの分野のレパートリーのスペシャリストと言った感じです。コロナの前年2019年の受難節はこの団体でバッハのマタイ受難曲を3回(とヨハネ受難曲を1回)演奏したのですが、通奏低音のオルガン奏者のオランダ人はなんとその3回が彼にとって、演奏回数を数え始めたから197〜199回目のマタイだったと話していました。199回目は聖金曜日の(教会ではなく)ミュンヘンのヘラクレス・ザールで演奏でしたが、来年一緒の200回目をお祝いしよう!と話したものの、2020年のその演奏会はちょうどその1週間前から始まったコロナのロックダウンによって中止になってしまいました。

ラルパ・フェスタンテは1983年創立で、コンサートマスターのクリストフ・ヘッセなど中心になるメンバーの平均年齢はドイツの古楽団体の中でも高い方です。その彼らの有名曲では受難曲だけでなく、モンテヴァルディの聖母マリアの夕べの祈り、ヘンデルのメサイア、バッハのカンタータ、ロ短調ミサ、モーツァルトのレクエイム、ハイドンの天地創造、四季、メンデルスゾーンのエリア、聖パウルなどと言ったレパートリーを何十回と演奏してきた長年の経験が滲み出る演奏は、正にこの分野の音楽を知り尽くしたものに感じます。

そんな彼らとの教会音楽の演奏経験は正に特別なものがあります。そしてそこから多くを学ぶ事のできるかけがえない機会でもあります。この団体で演奏するまでは、これらの宗教曲は好きであっても偉大な作曲家の孤高の作品と感じすぎてしまい自分からは非常に遠い存在に感じるものでした。それがここで何度も演奏する経験を重ねていくうちに作品が少しずつ身近なもの感じられる様になり、それと同時に今まで気づかなかった作品の奥深い素晴らしさ思い知らされる気がします。それは正に、自分にとっての新しい発見の連続です。

それに加えて彼らとの教会での演奏会での声楽のソリストでは、日本にいた時からCDなどの録音で聴いて魅了されていた歌手が出演する事があるのも楽しみの一つです(もちろん若手の素晴らしい歌手に出会うのも大きな楽しみです)。ラルパ・フェスタンテは大聖堂などの比較的大きな教会での演奏が多いのでそのような機会に恵まれる事も度々あります。今までアンドレアス・ショル、クリストフ・プレガルディエン、クラウス・メルテンス、ペーター・コーイなどといった方々とも幸運にも共演させてもらいました。彼らの音楽と言葉が完全に一体になった素晴らしい歌唱をすぐ近くで聴けるのは、弦楽器奏者としてアーティキュレーションの付け方やボーイング、音の発音などについて、これ以上ない程の多くの事を学べるかけがいのない経験です。

今年の聖金曜日はハイデルベルクの精霊教会で、ラルパ・フェスタンテでのバッハのマタイ受難曲の演奏に参加する予定です。去年2022年の受難節には別の団体で2回のバッハのヨハネ受難曲を弾いていますが、マタイ受難曲は2019年以来でコロナ以降はじめてとなります。久しぶりのこの曲、それも聖金曜日の演奏は今から非常に楽しみです。

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ハイデルベルク聖霊教会、2022年の復活祭日曜日の演奏会のリハーサル。

聖金曜日に演奏されるものとして、もう今回もう一つ取り上げたいのがワーグナーの"パルジファル"です。ワーグナー独自の宗教観で書かれたものでありながら、3幕の場面が聖金曜日であるなどキリスト教的な題材が根底にあるため、ドイツ語圏でこの日に取り上げられる事が多くある作品です。

私が頻繁に弾かせてもらってるマンハイム国民劇場(Nationaltheater Mannheim、マンハイム市の運営する市立劇場、自治体が運営する劇場としては世界で最も古いものの1つです)では、このパルジファルを聖金曜日に上演するのが毎年の伝統となっています。常設のアンサンブル、オーケストラを持ち、オペラを定期的上演する劇場が90ほどもあるドイツでも、毎年この日にパルジファルを上演する劇場は滅多にありません。ちなみにウィーン国立歌劇場では、毎年聖金曜日の1日前の聖木曜日に上演しています。

マンハイムのパルジファルの演出は、戦後に現在の劇場が再建された1957年に初演されたハンス・シューラーという演出家による"新バイロイト様式"といわれるスタイルの貴重な舞台で、この演目で現在も上演されている世界最古の演出とも言われています。1957年の初演以来、コロナでの中止と、劇場の大規模改修工事の為の上演されない今年以外は、毎年聖金曜日の公演を含めて3、4回、今までに約150回ほど上演されています。またオーケストラで使用する譜面は、この劇場でパルジファルが初めて上演された時から100年以上使われているものです(こう言った古い譜面は決して珍しくありません)。

この聖金曜日のパルジファルは、1幕が終わった後に拍手をしないバイロイトなどと同じ"伝統"なども含め、お客さんの雰囲気も特別なものを感じさせてくれる空気が漂うものです。私も今まで何度かこの日に弾いた事がありますが、オーケストラ・ピットの中もいつもとは少し違う襟を正して挑むかの様な雰囲気があります。それこそ同じ聖金曜日に教会で演奏する受難曲とも通じるものがあると感じるのです。

劇場のレパートリー演目の上演、特にこのマンハイムのパルジファルの様に基本的に毎年の様に上演される演目の場合は、そのシーズンの1回目の上演の前に行われるリハーサルの回数も少ないので、自ずとオーケストラ独自の音楽や響きが出てきやすいと言えるかもしれません。もちろん毎年オーケストラに少しずつメンバーの出入りがあったり、違う歌手、指揮者など様々な要素によって少しずつ自然と変化していくのですが、まるで「継ぎ足しのタレ」の様に脈々と受け継がれているものもきっとあるはずです。時代によって変化をしながらも受け継がれるもの、それが本当の意味での伝統というものではないかと思います。

劇場お得意のレパートリーというものの演奏は、ラルパ・フェスタンテでの受難曲などの教会音楽の場合と同じく正にその音楽を知り尽くしている経験豊富な奏者の集まりだからこそ可能なものなのだと思います。時には慣れによって、惰性のようなもになってしまう事もあるものの、経験豊かな奏者による演奏は、表面的な技術の上手い下手、もしくは好き嫌いでは語る事のできない音楽の一番大切な部分を改めて思い出させてくれるものがあります。哲学的だとか深みだとか言うもまた少し違う、長年の経験とそれで得た知識をもとに真摯で謙虚に職人的に作品に向き合うからこそ滲み出てくるものがある。そしてそれが人々の心を動かす音楽にも繋がっているはずです。

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マンハイムの劇場のオーケストラピットにて、100年以上使用されているパルジファルの譜面。

最後に少しだけ演奏会の告知をさせてもらいたい思います。レコード芸術3月号に掲載された私のインタビューにも少し書いていただいたヴァイオリンの桐山建志さん、大西律子さん、チェロの西沢央子さんとの桐山建志弦楽四重奏団の演奏会、夏の一時帰国中となる2023年9月7日18時45分から代々木上原のムジカーザにて第1回目の演奏会開催が決定しました。プログラムはメンデルスゾーンの4番をメインに、今年没後150年を迎えるメンデルスゾーンのヴァイオリン協奏曲の初演者でもあるフェルディナンド・ダーフィトの知られざる弦楽四重奏曲、そしてハイドンの41番(ロシア四重奏曲第5番)となっています。チケットなどの詳細は、Twitterなどで追ってお知らせいたしますので、皆様よろしくお願いいたします。




矢崎裕一

矢崎裕一(ヴィオラ)Yuichi Yazaki

東京音楽大学卒業後に渡独。マンハイム音楽大学修了。在学中よりハイデルベルク市立劇場管、後にマンハイム国民劇場管、ハーゲン市立劇場管に所属。
2005年からハイデルベルク交響楽団の団員としても活動している。現在はマンハイム国民劇場、シュトゥットガルト州立歌劇場、カールスルーエ州立劇場などに客演する傍ら、古楽器奏者としてコンチェルト・ケルン、ダス・ノイエ・オーケストラ、ラルパ・フェスタンテ、マイン・バロックオーケストラ、ノイマイヤー・コンソートなどでバロックから後期ロマン派に至るピリオド楽器演奏に取り組んでいる。シュヴェッツィンゲン音楽祭にてマンハイム楽派時代の楽器による室内楽演奏会でミドリ・ザイラーと共演。
その他にアマチュアオーケストラの指揮、指導者としても活動中。これまでにヴィオラを河合訓子、小林秀子、デトレフ・グロース、室内楽をスザンナ・ラーベンシュラーク、古楽演奏をミドリ・ザイラー、ウェルナー・ザラーの各氏に師事。
ドイツ・マンハイム在住。
Twitterアカウント→@luigiyazaki


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