【連載】ヴィオラ弾きのドイツ便り [Season 1 / Grüße aus Deutschland]


第5回:春の訪れ、そしてレコード芸術休刊に思う事


①.jpg イースターの祝日、マンハイムのライン川沿いにある森の散歩道にて 先月の記事で書かせてもらった受難節からイースターの時期、今年も暖かくなったと思ったら冬が戻ってきたりしながら、どんどんと春が色濃くなって来ています。寒暖の差が大きな為、一気に暖かくなると同時に爆発的な勢いで鮮やかな色に染まってゆく木々の様子は、長く薄暗い冬からの目覚めで一気に動きだす自然の強いエネルギーを感じさせてくれるものです。この春の訪れの様子は、正にシューマンの交響曲第1番「春」の第1楽章を思い起こさせるものがあります。初演時には各楽章に表題がつけられていて、1楽章には"春の始まり(Frühlingsbeginn )"とありますが、冒頭のファンファーレは突然訪れる春の様子と、"Allegro molto vivace"の1楽章主部は春の自然のエネルギーそのものに通じるものを感じます。

そんな春へと季節が変わっていく中の受難節、今年は聖金曜日のバッハのマタイ受難曲をはじめとして3回の受難曲を演奏してきました。そして4月2日枝の主日(Palmsonntag)と呼ばれる聖金曜日の直前の日曜日には、マイン・バロックオーケストラ・フランクフルトでバッハのヨハネ受難曲を演奏しました。フランクフルトとマインツの中間のマイン川沿いに位置するフレースハイム(Flösheim)という小さな街の教会合唱団の演奏会で、歌のソリストもフランクフルトやマンハイム周辺ではお馴染みの古楽を得意とする顔ぶれ。ちなみに今回エヴァンゲリストを歌ったゲオルク・ポプルッツは、今回の団体であるマイン・バロックオーケストラとのCD録音も発売されています(私はこの録音には参加していません)。

バッハのヨハネ受難曲はライプツィヒで1724年、1725年、1732(?)年、1749年の4回演奏されたと言われていて、その都度改訂を加えた事で様々な譜面が存在します。また1739年にも改訂されてスコアが制作されていますが、その版の10曲目までが唯一現存するバッハ自筆のヨハネ受難曲の譜面です。通常使用されるのは最後に演奏された1749年稿(第4稿)を元にまとめられた新バッハ全集の譜面ですが、それぞれの稿による違いも付録としてまとめられている為、曲によって演奏時にどのバージョンを使うかという選択をする事もできます。

稿により大きく異なるのは1725年の第2稿で、何曲かが他の稿と完全に異なる曲に入れ替えられています。その為この稿を使っての演奏の場合は、"第2稿"での演奏と明記される事が多いです。それ以外の違いで大きなところは主に楽器編成、ヴィオラ・ダモーレ、リュート、チェンバロ、コントラファゴットといった楽器が使用されるかがその稿によって異なりますが、必ずしも正確にどの稿に沿って演奏するかではなく、その時に諸事情や好みによって選択される場合も多くなります。今回は上に挙げた"特殊楽器"のない編成での演奏でした。楽器編成が少なくなる為、単純に安上がりであり、また小さな教会の場合でも場所的に問題がないという理由でこの形が選択される事はよくあります。

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ヨハネ受難曲の演奏会のあったフレースハイムの教会。

このヨハネ受難曲の聴きどころならぬヴィオラ弾きにとっての「弾きどころ」を1つ挙げるとすると、なんと言っても冒頭合唱だと思っています。マタイ受難曲の冒頭合唱もですが、何度弾いても曲が始まると得もいえぬ特別な感覚を満ち溢れてくるのです。ただヨハネ受難曲の方がよりオーケストラにとって器楽的とも言えるアンサンブルの面白さを感じます。マタイの冒頭合唱に比べて、合唱との同じ音を演奏する「コラ・パルテ」が少なく、オーケストラが独自の声部を担当する部分が多いからそう感じるのかもしれません。弦楽器は16分音符と8部音符の単純な組み合わせなのですが、それが様々な形で細かく歯車の様に入り組みじっくりと力強く歩んでいく様は非常に緊張感があり、荒々しくそしてドラマティックなこの受難曲のキャラクターを冒頭から示している様に思います。

その中でヴィオラは、通奏低音と同じリズムの動きでハーモニーを構成し、時にはヴァイオリンと同じ動きをして旋律に厚みを持たせ、そして他の声部と対等な独自の声部でバッハならではの内声部の充実を聴かせたり、その時々によって非常に変化に富んだ役回りが与えられています。そしてヴィオラ・パートだけを見た時に、非常に美しい旋律的な音の並びが書かれているのです。これはヨハネ受難曲だけに限りませんが和音の構成の穴埋めの為だけに書かれた様な音はなく、横のつながりが不自然なところがほぼ皆無なのです。この様なヴィオラ・パートはバッハ以外には(モーツァルトくらいしか)ほとんど思い当たりません。個人的にこのヨハネ受難曲の冒頭合唱のヴィオラ・パートというのは、そのバッハの凄さが最もよく感じられるものの一つだと思うのです。

バッハの作品のヴィオラ・パートといえば、ここでもう一つ挙げておきたい曲があります。ペルゴレージの有名な"スターバト・マーテル"、この曲をバッハが1746年(もしくは1747年)にライプツィヒで演奏する為に編曲したもので、新バッハ全集ではBWV1083という番号が付けられている作品です。楽器編成はそのままでしが、歌詞は元のラテン語に内容を合わせて詩篇からとってきたドイツ語に変更し歌詞に合わせて旋律もリズムを書き替え、また一部曲順も変更。そして第2ヴァイオリンとヴィオラの内声部のパートは、曲によってかなり大胆に編曲が施されているのです。このバッハ編曲版の"スターバト・マーテル"を、3月の半ばにシュパイアーの大聖堂で弾く機会がありました。気温は20度近い春の陽気でしたが、この大聖堂の中は10度以下というまるで巨大な冷蔵庫。このシュパイアーの様な天井が非常に高く大きな教会ではよくある事ですが。


この作品を弾いていて感じるのはペルゴレージの原曲の魅力はそのままに、これ以上ない程にバッハらしい構成力を感じさせてくれるのです。とにかく細部にまで渡って見事に書き上げられた内声部で、ヴィオラの譜面は曲によっては全く別物の様な見た目なっています。この違いが聞き手にどれだけ異なる印象を与えるかどうかは自分には分かりませんが、少なくともヴィオラを弾いている立場では衝撃的と言っても過言ではない素晴らしさ、よく知っているペルゴレージの作品なのに同時に全く違う曲の様にも感じるのです。和声的にもリズム的にも音楽全体の流れを作り出し、主導権すら握っているかの様な隅々まで完璧に考え抜かれた内声部。そしてここでも、内声部の自然な美しい旋律的な音の並びの魅力はバッハならではのもの。「神は細部に宿る」と言いますが、このバッハの作品は正にその言葉が表す究極の例の一つかもしれません。

シュパイアー大聖堂
世界遺産にも指定されているシュパイアー大聖堂。

最後にもう1つ別の話題、「レコード芸術」休刊について思う事を書かせてもらいます。
ちょうど受難週の頭に飛び込んできたこのニュースは、私にとっても非常にショッキングなものでした。連載第1回にも少し書かせてもらいましたが、練習する時間より音源を聴く時間が長いくらいCDを聴きまくっていた日本の音大時代、新旧様々な音源の情報を探したり自分の聴いた演奏がどう評価されているかを知る為にほぼ毎月の様に購読していたものでした。ドイツに来てからは一時帰国時に買う事がある程度でしたが、私が今まで最も多く読んできた月刊誌である事には違いありません。そんな事もあり去年のハイデルベルク交響楽団のハイドン交響曲全集に関連するインタビューの話を頂いた事、編集長の浜中充さんにお会いできた事も含めて非常に嬉しかったものです。そしてその記事が掲載された現物を2月に手に取って読んだ時は本当に感慨深いものがありました。

音楽の聴き方の主流がCDなどの物理メディアから配信という形に変わっていく中、レコード芸術の様な雑誌が生き残っていくのが厳しい状況である事は想像に難しくありません。ただ今まで生き残ってきた事にも注目するべきだとも思うのです。時代に合わせて変化していく事の大切さと同時に、変化せずに残っていくものの価値、魅力というもの忘れてはいけないはずです。多様化していく時代だからこそ、その個性が重要にもなる。変化する必要はあっても完全に別のものに変わってしまったらそれはレコ芸である必要がないのですから。その魅力は残しつつ新たな読者を獲得するようなプラスαの魅力は必要だとは思いますが。

レコ芸 

店頭に並んだレコード芸術2023年3月号、表紙にまで名前が出ていてびっくりしました。

休刊というのは音楽之友社さんにとっても苦渋の決断であったに違いありません。自分の様な素人が思いつく存続のアイディアなどは、既にいくらでも考えた上での判断のはずです。先日の日本経済新聞の記事によりますと発行部数はピーク時の半分の5万部ですが、まだ決して少ないとまでは言えない数かもしれません。その読者の皆様がどの様な存在感を「レコード芸術」という雑誌に求めていたか、そして今後も求めていきたいか。演奏家、レコード業界、そしてクラシック音楽業界も含めて今改めてそれを発信する事は、音楽之友社さんにとって何か存続のアイディアを生み出すきっかけになってくれるかもしれません。

レコード芸術は録音を通して音楽を体験する楽しみをより深くする為の情報、特集記事やインタビュー、プロフェッショナルな書き手による質の高い多くの評論がまとめて読める非常に貴重な存在です。そして聞き手と演奏家を繋ぐ架け橋の様な存在でもあると思っています。私としてはウェブ版、季刊など何らかの形で存続してくれる事を勝手ながら願うばかりです。休刊前最後となる6月発売号まで、ドイツでも手に入るデジタル版で購入して読ませていただきます。




矢崎裕一

矢崎裕一(ヴィオラ)Yuichi Yazaki

東京音楽大学卒業後に渡独。マンハイム音楽大学修了。在学中よりハイデルベルク市立劇場管、後にマンハイム国民劇場管、ハーゲン市立劇場管に所属。
2005年からハイデルベルク交響楽団の団員としても活動している。現在はマンハイム国民劇場、シュトゥットガルト州立歌劇場、カールスルーエ州立劇場などに客演する傍ら、古楽器奏者としてコンチェルト・ケルン、ダス・ノイエ・オーケストラ、ラルパ・フェスタンテ、マイン・バロックオーケストラ、ノイマイヤー・コンソートなどでバロックから後期ロマン派に至るピリオド楽器演奏に取り組んでいる。シュヴェッツィンゲン音楽祭にてマンハイム楽派時代の楽器による室内楽演奏会でミドリ・ザイラーと共演。
その他にアマチュアオーケストラの指揮、指導者としても活動中。これまでにヴィオラを河合訓子、小林秀子、デトレフ・グロース、室内楽をスザンナ・ラーベンシュラーク、古楽演奏をミドリ・ザイラー、ウェルナー・ザラーの各氏に師事。
ドイツ・マンハイム在住。
Twitterアカウント→@luigiyazaki


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