宇野功芳の音盤棚

unauの無能日記⑤

 今月は美食の話。和、洋、中、おいしいものなら何でも好きなぼくだが、トップは当然フランス料理である。ぼくぐらいの年齢になると、もう和食の方がいい、という人も多いが、生涯現役の体には魚よりも肉の方がぴったりくる。

 それにぼくはあの懐石料理というものがピンと来ないのだ。もちろん若い頃は美しい彩りに魅せられて京都は祗園丸山などによく通ったものだし、今でも有名店に招待されることがある。でも、2日つづけて食べたいとは思わない。それにどの料理もいろいろこねくりまわして、なんの食材を使っているのか分からないものが多い。有名店の懐石料理でもそうなのだから、旅館で出てくる食事には正直まいってしまう。初日はまだ良いとしても2日目には同じ味に飽き飽き、3日目はかなり辛い。ぼくには行きつけの温泉旅館があるのだが、残念ながら3泊が限度だ。フランス料理には(もちろん一流の)そういうことがないので、1ヶ月でも2ヶ月でもフランスに滞在できるのである。

 ところが和食で、たった2軒だけ、いつ行っても、今までのどれよりも今日がいちばんおいしかった、と思わせてくれる店がある。銀座のすしの名店[ほかけ]と、原宿の割烹料理、[重よし]である。
最近東京のフレンチ・レストランの味の向上は著しく、本場のフランスを凌ぐ店も多くなったが、行くたびに今日が今までの最高と思わせてくれる店はさすがにない。だから、ほかけと重よしは別格なのだ。とんでもないことを肩に力を入れず、やすやすとやってのけているのである。

 ほかけについては改めて書くことにして、まずは重よし。この店は遠藤周作が通いつめたことで知られ、ぼくも彼のエッセイを読んで通うようになったのだが、ご主人の佐藤憲三さんとはもう20年以上のおつき合いということになる。重よしはいわゆる懐石料理ではない。無上の食材をこねまわさず、出来得るかぎりシンプルな形で供してくれる。料理を出す順番にもこだわりはなく、思いがけないときに思いがけない一皿が出る。佐藤さんはお客の食べ方をそれとなく見ていて、その日の食欲や体調を瞬時に見ぬき、ぴったりの品を出してくれる。だから、十数人しかすわれないカウンターのお客一人ひとりに出すものがみな違う。順番も違う。

 最近行ったのは4月18日だが、その日の献立を書いてみよう。

メニュー
1. グリーンピース、生ユバ、山椒の花を素材にした3種の突出し
2. 葉タマネギのゆでもの
3. カツオのタタキ。ノリ、ミョウガ、アサヅキをたっぷり散らす
4. キスとウドの芽
5. アサリとフキノトウを揚げたもの。
ウニとトリ貝(ウドとワケギを巻き、スミソをかけてある)。
シメサバの卯の花まぶし。
ホタルイカのモロミ漬け。 以上、4種が一皿に
6. 吸物。シイタケ、シラガネギ、ニンジン、ミツバ、ゴボウとブタの背脂
7. タイの刺身
8. ふり酒をした甘鯛
9. カニ
10. 板屋貝のミソまぶしと天然浜防風
11. 竹の子とフキの土佐まぶし
12. 親子丼。シジミのミソ汁。香の物
13. 小夏ミカンのゼリー

 その一つひとつの滋味について、素人のぼくが書くのは控えよう。とにかく店に足を運ぶたびに目からウロコが落ち、新発見のおどろきがある。しかし、どの一品もシンプルそのもの。

 佐藤憲三さんは1944年生まれ。原宿に店を出したのは1972年、27歳のときであった。朝起きると外に出て気温や湿度を肌で確かめる。
コーヒーを一杯飲み、午後2時まで何も食べない。その空腹感の中で、今日は自分が何を食べたいかを考え、それがその日の献立の基礎になる。
お客は定連がほとんどで、誰が、いつ、何を食べたかを、その日のうちに記録する。

 本当に食を愛し、重よしを愛する人が佐藤さんの大切なお客さんなのだ。だから会社の接待で食事などそっちのけ、話に夢中になっているような客には冷たくしてしまう、と語っていたが、人を見る眼は鋭くとも、温顔を絶やすことはない。 ぼくは佐藤さんが大好きで、料理ももちろんだが、佐藤さんの顔を見たいから行く面もある。料理の話も興味が尽きない。他のお客さんもみな同じではないだろうか。
(内容は執筆当時のものです)

2007年7月記
[宇野功芳]

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