宇野功芳の音盤棚

unauの無能日記⑧

 2007年7月、松浦寿輝著「川の光」(中央公論新社)が出版されたときはおどろいた。どこの本屋に行っても品切れだという。この小説は2006年7月から2007年4月まで読売新聞の夕刊に連載されたものだが、連載中からものすごい評判で、読者からの投書が新聞社に殺到したとのこと。もちろん、ぼくも夢中になって読んだ。最近こんなに面白い小説はないと思い、連載終結を待ち切れず、読売日響の機関誌「オーケストラ」にエッセイを書いたものだ。著者は単行本化するに当り、書き切れなかったことをずいぶん加えたそうで、ますますすばらしい一冊に仕上がっている。

 松浦寿輝さんは小説家よりも詩人や批評家として著名であり、エッセイも書いておられる。この「川の光」もキラキラと輝くような名文で、しかも読みやすい。

 小説の主人公は3匹のクマネズミ一家。お父さんと息子のタータ、チッチである。お母さんはハシバミ色の目をした美女だが、若くして亡くなり、物語には登場しない。いちばん最後、吹雪に埋もれて凍死寸前のお父さんの回想の中に出てくるだけだ。体毛の色は白に近く、それはチッチに受けつがれているクマネズミはドブネズミより一まわり小さく、この一家は川のほとりの公園に住んでいたのだが、人間川を暗渠化する工事を始めたので、やむなく川の上流に引越そうとする。途中には凶暴なドブネズミ帝国があり、捕われて殺されそうになる。やっと逃げ出すが、タータは一人だけはぐれ、ネコのブルーに助けられる。彼女はエメラルド・グリーンの瞳をした美しい牝ネコで、タータが「おばちゃん」と呼ぶとすごくおこる。

 別れ別れになった3匹は命がけの大冒険をする。それを助けてくれるのが牝犬のくせになぜか自分のことを「ぼく」というタミーや、モグラのお母さんや、スズメの夫婦や、爺さんネズミや、優しい人間の子供、圭一君や、田中動物病院の院長先生たち。ついに3匹は川の上流に新居を見つけるのである。

 物語のクライマックスは、川の上流に行くのにどうしても電車の駅ビルを通らなければならず、3匹がバスにこっそり乗車して駅の向う側にたどりつく場面と、もう一つはケガをして田中動物病院に運びこまれたタータに会うため、お父さんとチッチが今にも死にそうな様子で病院の玄関前に倒れ、タータと再会する場面であろう。彼らは知恵を働かせて病院を抜け出すのだが、そのお礼に院長の奥さんがなくした黒真珠のピアスの片方を見つけ、診療台の真中に置いて去る。院長夫妻のびっくりした様子、「まさかねえ」と疑いながらも、ことによったらネズミの恩返しかしらと考える二人の微笑ましさ。本当にここは名場面だと思う。

 夕刊の挿画は島津和子さんが担当したが、単行本にも多数収録されている。なによりも本を手に取ったときのカバーの美しいこと! たくさんの動物、植物、そして川が色刷で描かれ、本の最初の2ページと最後の2ページには見開きで3匹が移動した地域の地図が載っている。犬のタミーもいる。ネコのブルーもいる。モグラ一家もいる。田中動物病院もある。

 松浦寿輝は詩人だ。だからネズミたちの思索にも詩がある。プロローグにすでにタータの次のような言葉が出てくる。

 ――夏の終わり......。でも終わるっていうのは、いったいどういうことなんだろうとタータはふと思った。いつかぼくも「終わる」んだろうか。今まで考えたこともないそんな思いが不意に心をよぎって、急にタータは何だかとても淋しい気持ちになった――

 お父さんやチッチと離ればなれになったタータは図書館に落着き、ドブネズミ軍団を逃れたグレンに話しかける。

――どうして人間たちはこんな巨大な図書館なんてものを作ったのかな――。

グレンは答える。

――死ぬのが怖いんじゃないのかな――

 そのグレンが詩を口ずさんでいる。"生きるとは戻ってゆくこと/生誕のみなもとへ還ってゆくこと"。そしてタータに語りかける。

――なあ、タータ、『書く』ことも『読む』こともできないのは、われわれネズミ族の幸福なんじゃないのかな――

 物語の最後で松浦寿輝は人間に怒りをぶつける。少し長いが引用してみたい。

 三匹のネズミが死にかけている。銀河系の辺境の、とある恒星の回りを公転する、地球というちっぽけな惑星のうえでの出来事だ。百数十億年前のビッグバンで生誕し、それ以来、光の速さで膨張しつづけているこの宇宙の途方もない大きさを考えれば、地球などけし粒みたいなものにすぎない。ただ、そのけし粒のうえにも、一応は海があり大陸があり、山がそびえ川が流れ、そこにはアメーバや粘菌から象やクジラまで、無数の生物がひしめき合って暮らしている。今のところそのなかでいちばん威張って、驕り高ぶって、わが世の春を謳歌しているのは、ニンゲンという名の野蛮な哺乳類の一種族だ。自分たちの安逸のことしか考えないニンゲンの好き勝手のしほうだいのせいで、あんなに美しかった緑の星は、今どんどん荒れつつある。衰えつつある。その一方、ニンゲン自身もお互い同士、何やらわけのわからぬ理由で戦い合い、殺し合っているのだから、馬鹿々々しい話ではある。しかし、放っておこうではないか。どうせ長くは続くはずのないニンゲンの、地球上での繁栄など、無限の宇宙のなかに置いてみれば、一瞬のエピソードでしかないのだから。

 中略。そして結論が書かれている。

 ――ネズミであろうと何であろうと、生命というものはそれ自体、一つの奇蹟だからだ。ある特殊で複雑な仕方で組み合わさったたんぱく質の分子の複合体に、あるとき突如として、生命が宿った。生まれて、生きて、番って、死ぬという不思議なサイクルが生じ、生命の輝きが、温もりが、歓びが、世代から世代へと受け継がれるようになった。これが神秘でなくて何だろう。奇蹟でなくて何だろう。――

 小説は次の言葉で終わりを告げる。

 ――だが、わからないものである。やがてタータたちは、三匹で力を合わせてやり遂げた川を遡る移住の旅など比べものにならないような、もっともっと凄い、胸躍らせる大冒険に身を投じることになるのだから。それはしかし、また別の物語だ。――

 松浦さん、ぜひ書いて下さい。他の多くの愛読者たちといっしょに、楽しみに待っていますからね。

2007年10月記
[宇野功芳]

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