宇野功芳の音盤棚

unauの無能日記⑩

 大日本雄辯會講談社。ぼくは昭和5年の生まれだから、小学生時代は「講談社の繪本」「幼年倶楽部」「少年倶楽部」「少年講談」さては「のらくろ」「怪人二十面相」などの本で育った。その発行元が大日本雄辯會講談社なのだが、この名前を見ると子供心にも誇らしかったものだ。そのくらい講談社の本は充実していたのである。

 たとえば現在やっと一部が復刻された「講談社の繪本」の豪華さといったら! ぜひ本屋で直接手に取っていただきたい。昭和11年から17年まで、実に203冊が発行され、復刻されたのはわずか20冊にすぎないが、とくに「浦島太郎」「かぐや姫」「猿蟹合戦」などの美しさ、面白さは目がくらむほどだし、「童謡画集」に描かれた戦前の日本の風景、風俗は懐かしさに涙が出る。日本という国はこんなにもすばらしかったのだ。

 なにしろこの絵本、当時の錚々たる日本画家たちが精魂をこめて画き、講談社は子供が読む本だからこそ最高のものを創ろうと志し、最上質の紙を使い、極めて贅沢な多色刷にし、心をこめて仕上げたのだ。採算を考えたらこんな絵本が出来るはずはない。戦前の日本の文化のすばらしさはとても筆舌には尽くし得ないものがある。だからぼくたちは講談社に誇りを持っていたのだ。

eeb7e4b96b28a0e12244c344914e3ca7_mclear="all" />※画像はイメージです。

 当時の子供は小学校3、4年までは「幼年倶楽部」、4、5年になると「少年倶楽部」「少女倶楽部」を購読していたが、ことに「少年倶楽部」の内容の濃さは群を抜いていた。今の子供は活字離れだそうだが、そうなるとわれわれが普通に読んでいた「少年倶楽部」など、大人が読んでも面白いのだから、文章がむずかしくて歯が立たないだろう。なんと憂うべき現状であることか。ぼくの感じでは、昔の中学生(義務教育ではない)は今の大学生よりよほど大人で、しっかりしていた。凛としていた。親も先生もこわいからだが、親や先生の子供を愛する心は現在よりもずっと深く、だからこそ子供もいうことを聞いたのである。

 講談社を創立したのは野間清治で、実に立派な顔をしている。彼が提唱したのは朗読のすすめである。曰く。

 大きい声を出して本を読むと、気分が爽快になる。姿勢がよくなり、度胸ができる。内緒話をしなくなる。いかがわしい本を開かなくなる。明朗になる。舌が滑らかになる。演説上手になる。人に好かれて出世する。偉くなるのに一番必要なものは何か。学問でも、才智でもない。その人の品性である。真面目に、真剣に、親に事つかえ、兄弟仲よくし、人々に深切に、辛抱強く、自己の仕事に奮励するならば、それだけでその人は必ず立派な人になれる事を私は確證する。

 こんな人が初代社長になり、大人の雑誌「雄辯」や「キング」を出し、子供を大切にする本を毎月出しつづけたのだから、ぼくらの少年時代はバラ色だった。「少年倶楽部」には名作が競い合って載せられた。たとえば佐藤紅緑の長編小説「あゝ玉ぎょく杯はいに花うけて」は昭和2年5月号から3年4月号にかけて連載されたが、少年たちを熱狂させ、連載前の発行部数30万部が、昭和3年新年号には45万部にはね上がったことでもわかる。筋はチビ公と呼ばれていた小学生・青木十三が、貧困にも負けず、志を抱いて生きぬく話で、その刻苦勉励に熱い友情がからむ。

 佐藤紅緑(サトウハチローの父)は最初、「ハナたれ小僧の読むような小説は書けん」と断ったのだが、当時の編集長が「子供は国の宝だ」といってついに執筆させることに成功したのだという。

 山中峯太郎は「幼年倶楽部」に「見えない飛行機」を書いて大ヒットしたが、彼はこの小説の心を、「どんなことがあっても、正しいことをきっとやりとげる、という力を、子供のときから十分につくってゆくことが大切だ。子供のときにつくった心は一生つづく。心もからだも強い子供になってほしい」と書いている。

 「少年倶楽部」には毎号あっとおどろくような豪華無類な付録がついていた。それがまた大人気を呼んだのである。たとえば昭和6年10月号の、6基のプロペラをつけた翼70センチの「大飛行艇ドックス号模型」、同年8月号の「名古屋城の発光大模型」、7年新年号の「軍艦三み笠かさの大模型」などがすばらしく、軍艦三笠では黄海海戦や日本海海戦のときの被弾の跡や、東郷司令長官が全艦隊を指揮した場所まで明示されていた。

 社長・野間清治のモットーは「面白くてためになる」だった。なかでも「少年倶楽部」には、少年の理想主義、正義、熱血、情熱などが散りばめられ、友情、勇気、正直、精神的な徳育などが最も大切にされていたのである。

 文京区関口には講談社野間記念館がある。2ヶ月ごとに展示物が変わるので、前記の付録などが今度いつ見られるのかはっきりしないが、一応ご紹介しておきたい。

2007年12月記 [宇野功芳]

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